【いまさら聞けない】民事信託っていったい何なの?

どうも、司法書士の城田です。
近頃、私ども専門家の間だけではなく、一般的にも「民事信託」や「家族信託」という言葉を耳にする機会があります。
とはいえ、民事信託や家族信託とはいったい何なのかという事を理解している方は稀でしょう。
今日は民事信託とはいったいなんぞや?という事について、法律に携わっていない人にも分かりやすく説明していきたいと思います。
「ぜんぜん分からわ!」ってなったらすいません。メールして頂ければ頑張ってお答えします。
この記事の目次
民事信託とは?
民事信託は金融商品ではない
民事信託が注目される理由の大前提として、現在の日本が超高齢化社会に突入したことがあげられます。
日本人の平均寿命は上がっているのに、出生率は下がっているわけですから、
少子高齢化するのは致し方がないことではあります。
そういった中で、現在60歳以上の人が持っている財産というのは、それ以下の人が持っている財産とは、
比べ物にならないほど大きなものとなっており、その相続対策についての需要が出てきた一端として、
民事信託にも注目がされているわけです。
普通の方は、「信託」という言葉の印象から、民事信託も信託銀行が関わる、
いわゆる金融商品的なものという印象を持っていらっしゃるかも知れません。
しかしそうではありません。
信託は商事信託と民事信託の二つの区別があり、一般的に認知されている金融商品的な信託は、
商事信託と呼ばれるものです。
商事信託は、国からの許可を得た信託業者が業として行うものであり、
民事信託とは全く違うものになります。
信託という言葉は日本においては多少リスクを伴うイメージが持たれておりますが、
民事信託はそういった金融商品とは全く次元の違うものとして考えて頂くべきで、
これまでの信託という言葉のイメージは一度リセットして考えなければその全容を捉えることは出来ないでしょう。
現行の民法が成立したのは100年以上前
現行の民法は1890年に公布された明治民法をベースに作られております。
という事は、100年以上前の法律が基礎となっているのです。
私が生きた30数年間でも世の中は著しい変化をしているのにもかかわらず、
100年という歳月に法律が耐えられるわけはありません。
相続が生じた場合に適用される親族・相続法は何回かの改正が行われてきておりますが、
それでも法律は常に実際の世の中のスピード感には及びません。
どこかで使いにくさが付きまとってしまうのです。
そういった中で、この超高齢化社会における相続の在り方として、
現行の親族・相続法とは別のやり方で相続に備えたいというニーズが高まってきています。
その一つとして平成18年という比較的最近に大改正され(最新改正は平成26年)、現代の実情にも対応できる信託法を使って相続に備えるという考え方が
徐々に盛り上がってきております。
徐々にとは書きましたが、専門家の中では既に流行ってると言っても過言ではありません。
民事信託は平成18年の大改正によって登場した考え方です。
ですので、日本においては新しい法律で、現代の状況にも柔軟に対応できる作り方になっています。
民事信託が新しいのは日本だけ?
民事信託が日本で新たに取り入れられたと書きましたが、それは別に革新的なことではありません。
というのも、信託の始まりはイギリスにおいて14世紀から始まったとされており、
契約法の成立よりもはるかに早い時期から使われてきたという背景があるからです。
ですので、新しい法律だからと言って制度自体が未熟であるという事はありません。
しかし、日本において使用された実績という点ではまだまだ発展途上でありますので、
今後、どのような判例が出るかなどは未知数の部分があるにはあります。
もちろん、判例も外国の判例を参考にして日本の実情を鑑みて出されることになりますので、
とんでもない判例が出ることはないと思われます。
なぜ、民事信託が注目されているのか?
高齢化社会の弊害?民事信託のススメ
「医療の発展に伴う超高齢化社会の到来!」的な話はよく耳にすることと思います。
その一方で、健康寿命という言葉も耳にすることが多くなってきました。
要するに、長生きはするが健康ではない状態の人が結構いるわけです。
その最たる例が認知症でしょう。
認知症になると様々な弊害があると思いますが、法律家の観点から観ると、
法的行為能力が制限される点が最も重大な弊害です。
何かを買うとか、お金を借りるとか、建物を建ててもらうとかの契約をするには、
その契約内容が理解できるだけの認知能力が前提になります。
認知症になれば、程度にもよるのでしょうがそういった判断が段階的に乏しくなってきます。
法的には「事理弁識能力を欠く常況」になりますと、成年後見の申し立てをするという判断を下さざるを得ません。
成年後見を申し立てますと、事理弁識能力を欠く常況に至った本人の為に、
成年後見人が代わりに契約をしてあげることが出来るようになるわけです。
しかし、事はそう簡単ではありません。
といいますのも、成年後見には本人の財産を保全しなければならない義務があり、
本人の財産が減るようなことは勝手にすることは出来ません。
相続対策として保険契約が有効であると知ったところで、もはやそれをすることは現実的には難しいのです。
相続対策として保険契約をするとなりますと、本人が掛け金を払い、受取人は相続人という事になりますので、
本人の財産が減ってしまいます。
余っている土地があり、その上に建物を建てて賃貸に出そうにも、本人の財産が減るから借り入れは出来ないとか、
能動的な対策はすべて否定されてしまいます。
最終的に相続税を圧縮できるとしても、それは相続人の利益であって本人の利益ではありません。
本人が生きている間には相続税が課されることはないわけです。
そうなってまいりますと、認知症が深刻になってしまうと何も出来ないではないか!
財産があっても塩漬けではないか!となってしまいますが、まさにその通りなのです。
収益を生まない土地の固定資産税を払い続けることのほうが本人の財産が減ってしまうと思いますが、
古い民法の制度ではそのような扱いになっており、使い勝手は良いとは言えません。
そこで有効になってくるのが民事信託なのです。
民事信託の意義
信託の本質は、「信じて託す」事です。
「信じて託す」ことが相続対策としてどのように有効なのか気になるところだと思います。
例えば、認知症になる前に一定のお金を誰かを「信じて託して」いた場合、
どういったことが起こるでしょうか?
仮に民事信託契約により、誰かに財産を「信じて託した」後に本人が認知症になり、後見申し立てもしたとしましょう。
信じて託したお金は誰のものなのかという問題が生じます。
もしもそのお金が完全に本人のものであるならば、後見申し立てが行われた以上、
使うことは出来ないという事になります。
しかし、信託法では信じて託したお金は「信託財産」と呼ばれ、
名義上は託された人のものです。
では、信じて託された人はその財産を好きに使ってしまってよいのかというと、
もちろんそうではありません。
信託をするときに設定された一定の目的に従ってその財産を使わなければならない義務があるのです。
仮にそのお金を相続人のための財産形成のために使うという目的があるのであれば、
託された人は仮に本人が認知症になって事理弁識の力を失っていてもその目的に従い、
保険契約をすることができるのです。
これを発展させますと、土地を信じて託していればその土地を担保にお金を借り、
建物を建てて収益を生む事も出来るわけです。
これは非常に画期的なことだと思います。
本来は財産が本にの意思がない状態で運用されることはあり得ないところを、
信じて託すことによってそれが可能になるという事です。
民事信託のまとめ
このメディアの中で以前、ペット信託について書かせて頂きました。
実はこのペット信託も民事信託の一つです。
このように、民事信託は「これ」といった形がありません。
信じて託す行為があれば信託なのです。
そういった意味では、これから先も様々な信託の形が作られ、日々変わっていく世の中に対して、
柔軟な対応がなされていくでしょう。
法律の制定は時間がかかります。しかし、自分の財産管理は法治国家に住んでいる以上、
法律にのっとったものでなければいけません。
その一つのツールとして、これからも民事信託がどんどん活用されていけば、
より良い財産管理ができるという事、またはそういった期待を込めて、
このように注目を集めているという事でしょう。
そのための問題はそれを使う、又は提案する法律家の資質がもっと上がっていかなければならないという事だと思います。
私もそのことを肝に銘じ、精進していかなければならないなと思います。